第7章 大衆文化
第7章 大衆文化
逃亡ー「ダーク・ヒーロー」の系譜
アメリカのヒーロー
常に正義の味方とは限らない
逃亡者たちの「生」に執着する情熱
逃亡者たちの「生」に自らの「生」を重ねる
完全逃亡
逃亡そのものがなかったかのような偽装
破滅型と試練型
破滅型
地獄行きを覚悟する
映画「テルマ&ルイーズ」など
試練型
冤罪をはらすべく逃亡生活に耐える
テレビドラマ「逃亡者」
実態なき逃亡のドラマが現実の正義を後押しするという稀有な出来事でもあった
逃亡のパラドクス
エミネム「97年のボニーとクライド」
作品を通じて, アメリカンヒーローという存在への疑念とそれを支持する大衆の身勝手さを批判
アメリカのダーク・ヒーローに自らを重ね合わせていたボニー・パーカー
大衆の一人となり, 逃亡劇を鼓舞しているかのよう
善悪の基準が揺らいでいる社会にあっては, 逃亡のパラドクスも無意味になってきている
ジャズとヒップホップ
ディクシーランド・ジャズが20世紀初頭に出来上がる 黒人の移動とともに大都市で流行
少人数編成の即興演奏が音楽ジャンルとして定着
チャーリー・パーカー, バド・パウエルなど
ダンスミュージックから, 座って鑑賞すべき音楽への変化
ポピュラーな芸能からシリアスな芸術へ
ハード・バップ, クール・ジャズ, モード・ジャズ, フリー・ジャズなど
「いかにして即興演奏をするか」というルール変更の歴史
「即興」は公民権運動の盛り上がりとともに, 黒人に特徴的な文化的特性だと考えられるように
1980年代, ブ˚ロンクス地区を中心にヒップホップという文化が広がる 「ブレイクビーツ」の発明
「部分」を「全体」から引き剥がしてループさせる
反復するビートに合わせてMCがラップするように
ライム
共通するトピックをいかに気の利いた言い回しでいうかの言葉のゲーム
アメリカのメインストリームに浮上
白人のティーンエイジャーに人気
多くは意図的にギャングのイメージを待とう
セルフ・オリエンタリズム
二つの類似性
1つのお題があたえられ, それに対して次々と人々が語り直すという構造が類似
ヘンリー・ルイス・ゲイツ・ジュニア「シグニファイング」
黒人コミュニティにおける婉曲表現
言い換え, 仄めかしなど
白人の主人に悟られないように編み出したコミュニケーションの手法
不穏で体制転覆的な可能性を秘める
「言い換え」のクオリティがオリジナリティよりも評価
ルールに乗っ取ったゲームに近い音楽表現としてのhiphopとjazzの類似
アメリカン・ルーツ・ミュージック
アメリカ音楽のルーツ(アメリカン・ルーツ・ミュージック)とは
アメリカ音楽の起源である広範囲にわたる音楽の総称
民族, 空間, そしてアメリカの歴史を包み込んでいる
白人移民がもたらしたヨーロッパの民謡
18世紀アパラチア山脈にスコットランド, ウェールズ, アイルランドなどから移民してきた人々による「バラッド」(中世の吟遊詩人に端を発する) フォークの定義の拡張
他の地域や民族の音楽をも統合したアメリカ音楽を意味するようになる
ARMがフォークにとって変わってアメリカ音楽の起源を表す概念となる
フォークと呼ばれるポピュラー音楽の1ジャンル
1960年代, 反戦ソングやプロテストソングを歌うボブ・ディラン, ポールアンドメアリなど 1930年代の大恐慌時代から社会主義的な活動をしていたウディ・ガスリー, ピート・シンガーなど ARMのフォーク以外の要素
期限はW・C・ハンディとされているが, 1901年にはすでにチャールズ・ビーボディが発見していた レコーディング技術の確率とともにデルタブルースの奏者たちが商業音楽へ
ブルースも人とともに南部から北部へ
シカゴは特にブルース進化の受け入れ口
旅する音楽
バンジョーは黒人がもたらした
ロックのイデオロギー
ロックのルーツ
アマチュアリズム
1950年代のロックンロールの流行をへて, バンド結成する若者たち 中産階級にアピール
フォーク・ミュージック
ロックの「イデオロギー」のルーツ
フォークへの関心の高まりは商業主義に対する反感や抵抗と不可分な結びつき
赤狩りの時代に先鋭化, 反戦, 共産主義などの反体制的な主張
ボブ・ディランがエレキギターを持ってステージへ
「ロック」はこの瞬間に始まったといっても過言ではない
フォークにとってエレキギターは騒々しく, 言葉の伝達を困難にする楽器
商業主義のシンボルでもある
反体制的で反商業主義的なイデオロギーがロックに受け継がれた
しかし, 商業主義の枠内での実践であるという矛盾
モンタレー・ポップ・フェスティヴァルなど
カウンターカルチャーが先進国に広がり, 全世界のユース・カルチャーの普遍性を獲得した瞬間でもある
健康幻想
グラハム主義者
食の工業化に対する批判の意味合いもある
個人の責任と自由を結びつけるアメリカ的宗教観
健康という概念とプロテスタント思考
心身の健康が輝く未来を保証し, 各人の健康はそれぞれの責任において向上が目指されねばならない
自由と自己責任を相互連関の元に捉えるプロテスタント思想とそれに基づくアメリカ主流社会の価値観
快楽としての身体という観点からのボディ・ビルディング, ケロッグのシリアル
アメリカ文化のリバイヴァリズム
同時代, 栄養学の進展
そして同時期に移民が増加
アングロサクソン文化を保護しようとする動きの一環として, 移民の食生活を貧しいと忌避
健康という仮面の元での人種差別
マイケル・ポーラン「フードを食べよ。食べすぎず、植物性のものを中心に」
ここ200年で食生活は根本的には改善されておらず, 健康的な食生活の実践は容易ではない
自然食品の人気に見える健康がんぼう
自然さを売りにした加工食品の人気
市場を操作する広告やマスメディアの影響
スポーツ文化
「キャッチャー」は弟とのキャッチボールを想起
非言語の会話としての無垢の暗喩
文学的な「野球」
発祥の地クーパーズタウンはクーパーゆかりの場所
「フィールド・オブ・ドリームス」の原作でもクーパーズタウン詣でを行っている
スポーツへの追慕
C・L・R・ジェイムズ
汎アフリカ主義者の批評家
「ビヨンド・ア・バウンダリー」
英米のスポーツの違い
アメリカ社会には「忠誠心」がないと考えた(スポーツにおけるスポーツマンシップのなさから)
虚無的で懐疑的なアメリカの実像
一つには, 観客の存在がある
「見せる」スポーツの人気
ジョン・アーヴィング「ホテル・ニューハンプシャー」
観戦文化
感染者の歓喜や栄誉のためのスポーツが競技者と競技の親密な関係を奪う
ヘミングウェイ「老人と海」
観客のいない海での壮絶な漁を幻の名勝負のように描く
スポーツと力の論理
勝てる競技への関心は高い(視聴率に反して)
薬物利用へ駆り立てられる選手たち
軍事との強い親和性
インディアン狩り, ビンラディン殺害
メディアとコマーシャル
コマーシャルとメディアの緊密な関係
メディアの力を借りて, 存在を知らせたい企業と, 広告収入に頼るメディアの相互依存
しかし, 番組は人々からの信頼を得るために倫理を守らなければならない
が, 依存関係が露呈していることは事実である
「やらせ」問題
アメリカの動脈としてのTV・ラジオのネットワーク
ケーブルテレビなどは, 広告収入に依存せず番組を制作できるという利点がある
コマーシャルの進化
広告代理店を開く
「ハード・セル」(製品やサービスの特性をアピール)から「ソフト・セル」(商品・サービス全体を取り巻くイメージを訴える)へ
リアリティTVとSNS
広告とクチコミ, 有名人と大衆の境界が曖昧になって「シームレス化」「フラット化」
広告がわも, 制作費用が少なく広告ができるという利点
ハリウッド
当初は東部が中心
気候の良い西武で映画を安定供給するというモチベーション
kana.iconこの本では書かれていないが, エジソンらへの反発であったという説もあった
ハリウッドの全盛期
スターシステムが強固に
観客が物語映画を容易に理解できるよう, 連続性を重んじた古典的ハリウッド映画
ハリウッドの垂直統合
独占禁止法に違反するとされ, 解体
ハリウッドは斜陽に
かつての大手会社は, ワイドスクリーンや3Dなどで小劇場と差別化→あまり効果はなかった
映画の変容
社会状況の変化に伴い, 1960年代には需要に合わせてプロダクション・コードが廃止 低予算でヒット作, ただしこの傾向は長くは続かない
ブロックバスターの隆盛
ベストセラー小説や売れっ子スターを起用し, 多額の予算をかける
商業的に成功した原作を元に映画作成, 宣伝に力をいれ, イベント化を図った
「スター・うぉ=ず」
キャラクターを商品化するための権利をうることで, 興行収入以外からの多大な利益
ジャンルの混合, アクションシーンの多用, スター起用, 物語を単純化したハイコンセプト作品の増加
タイアップなどの収入も増え, コングロマリット化されたグローバル複合メディア産業へ
独立系作品
結局配給はハリウッド傘下であることが多い
スタジオシステム崩壊後は輸出の収益の比重が高い